2014.11.02
ピアノ・歌の先生として

ピアノの習い事、歌の習い事ってなんなんだろうな~
としんみり考えています(+_+)
学校や勉強とは違って、やらなくても済むことで、
なくても支障のないこと。
得意だからやる、好きだからやるとも限らないし、
ピアノや歌が上手で出来るからといって、役に立つことでもない。
※中学校の合唱の伴奏で目立つ、とか、そういうのはあります(笑)
幼いころの記憶って、あんまり鮮明に覚えている方ではないのですが、
一つだけ今でもしっかり覚えていることがあります。
幼稚園の時、
「かたつむり」をおりがみで切り絵のように作ることがあって、
私はなぜか上手くできなくて、居残りをさせられて、
小さな四角のおりがみをうずまきのように並べる意味が理解出来ずに、
先生がすごく怒ってイライラしているのが分かって、
「出来ないと怒られる」という不安を感じたことがあります。
それと似たようなことで、
小学生の時、ピアノのコンクール前だったかな?
有名な大学のピアノの先生のレッスンが受けられるというのを
半強制的に参加させられて、
指のタッチから、何から、初対面の先生にめちゃくちゃに怒られ、
指導された内容よりも、先生の顔色ばかり気にしてビクビクして、
「ピアノを弾くって努力していても”出来ないと怒られる”んだな」と感じたこと。
※過敏な弱いタイプと言われてしまえばそれまでです(笑)
好きで楽しくてピアノを習い続けたわけではなく、
先生に会うのが楽しかったり、
発表会のあとに美味しいものが食べられることが
嬉しかったり

ひょんなことから、専門的な音楽の道に進むときには、
もちろん厳しいレッスンも当たり前だとちゃんと受け入れていたし、
その価値も分かります。
英才教育だ、頭がよくなる、とか色んな説がありますが、
そんなことよりも、
一人ひとり違う感性を持っていて、
得意不得意、器用不器用、好き嫌い、そういう全部。
子供だろうが大人だろうが、一人の人間として、
信頼関係を持ちながら、ピアノや歌をツールとしてつながって、
生徒さんに対して、何かよりよい影響、人生においてプラスアルファ。
意味合いはそれぞれに違うだろうけれど、
グループや集団じゃないからこそ、上から見るんじゃなく、
いつもとなりで肩をならべて、腕を組んで、一緒に上に上がっていく。
出来ないことと出来ること、大人になる中で嫌というほど、
思い知らされていくのだから、
出来ることがよくて、出来ないことがだめだという前に、
「出会えてうれしいよ、あなたが大切です。」というメッセージを、
いっぱいいっぱい伝える。
その基盤があるから、厳しいことも受け入れられる。
ピアノが弾けること、歌が上手になること、
それは、続けていたら必ず成長するのは当たり前。
でも習い事の本質は、そうじゃない気がする。
一番大切なのは、生徒さんの自主性、気持ち、意識。
歌科出身の、あまあま先生は、何年レッスンをしていても、
いつもそんなことを思っているのでした。
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